|
浦安市は、保元二年(1157年)に部落が形成され、塩焼きや魚貝類をとるかたわら田畑を耕し生業としていたが、度々津波の被害に遭い、いつでも寂しい漁村だったという。
徳川家康が幕府を江戸に開き、その直轄となってからは代官の支配を受けるようになり、下総国葛飾郡堀江村、猫実村、当代島村、または下総国行徳領堀江村、猫実村、当代島村などと称していた。(参考:浦安町誌) |
|
|
稲荷神社
稲荷神社創立は定かではない。
元禄二年武蔵国小岩村の善養寺が移し祀った明治四年に改築また明治四一年本殿と拝殿を再建昭和十九年十一月二十七日に第二次世界大戦の米軍機の爆撃によ破損。
昭和三十四年一月再建以来周辺の環境が著しく変り地盤沈下により拝殿の腐食御神木の根腐など修復不可能となり昭和五十八年地盛り拝殿の新築、本殿の修復にかかり昭和五十九年完成した。
五穀豊穣の神。 |
|
船圦緑道
昭和五十一年七月一日、町役場内に「道路名称選考委員会」が設置され、道路の名称をつける主要道路の選考方法等を審議することになった。
その結果幹線道路、生活道路それぞれ一本ずつの道路に愛称をつけることにした。
その一つは、都市計画道路3・3・3・号(浦安猫実線)。今までは開発道路や十三間道路と呼ばれていたが、「やなぎ通り」と名付けられた。
もう一つは、多くのベカ舟が係留されていたが、昭和48年に川の暗渠化がされ昭和52年3月に竣工された「船圦川」。現在では「船圦緑道」と呼ばれている・
(資料:浦安村誌) |
|
当代島水門
昭和四十八年の船圦川の暗渠化工事が始まる前は、水門として機能していた。しかし、今ではその門は大きく開くことは無い。 |
|
当代島児童公園
当代島児童公園周辺は、市川市欠真間の飛地「浦安市欠真間」だった。
しかしこの字名は、昭和五十六年十月一日住居表示の実施により廃止され、猫実五丁目・当代島一丁目・当代島二丁目にそれぞれ変更された。 |
|
東海山 善福寺(新義真言宗)
昔は善養寺の末寺だったそうだが、現在では、紀州の根来寺に属している。
明暦二年(1656年)興教大師法孫栄祐の創立開基。
その後二度の火災と津波に遭い、文政五年(1822年)栄澄和尚が再建した。 |
|
当代島公民館
当代島公民館は平成八年六月に浦安市内で五番目の公民館として開館。
四階建の館内には、図書室や喫茶コーナー、集会室、工芸工作室、体育館、会議室、調理実習室、視聴覚室、和室などがある。
市内の公民館では初めて喫茶コーナー(カフェ・デ・あいらんど)を設け、その管理運営は知的障害児(者)を持つ保護者の会「浦安手をつなぐ親の会」が行っている。
当代島公民館URLhttp://kyoiku.city.urayasu.chiba.jp/kominkan/toudaijima/index.htm
あいらんどURL
http://www.geocities.jp/islandtotomoni/aislando3.html
|
|
浦安駅第2駐輪場
浦安駅前には1〜13、新浦安駅前には1〜13、舞浜駅前には1〜3の駐輪場がある。
定期利用や一時利用、原付バイクが置ける駐輪場もあるので、申請方法等詳しくは下記URLへ。
http://www.city.urayasu.chiba.jp/a002/b004/d03500009.html |
|